写真倶楽部

晴れた日の午前、退会届を提出の為、当時の会長 津田洋甫・写真事務所がある大阪・四ツ橋まで出掛けたのは2008年の春。

浪華写真倶楽部の月例会に出席することが困難で退会する旨をお話した後、

歌人 前 登志夫さんの訃報が届いたとのお返事だった。

結婚願望もあって、今後の倶楽部活動のことに何とも言えず。

男(異性)があったら良いものだよと、笑いながら…

私の方は、返す言葉もなく。

倶楽部会員の方が写真集を出版されたと、現物の鉱物(原石)と一緒に見せて頂いたこと。

被写体にとても難しかったと、遠方から相談に来られたらしかった。

遠くにいても、写真活動は出来るものと仰られたことは今も忘れることはない。

倶楽部会員のための条件のことには入会当初から問題にあったものの退会届提出後、いつもと変わりなく事務所を後にした。

 

戦前・戦後の前衛写真と言われた写真家が集まる写真倶楽部入会の条件のことも知らずに、大阪・守口百貨店での浪華写真倶楽部 第90回 浪展 写真展会場の当番にいらっしゃった先生方に入会の可否を尋ねたら、倶楽部会員の紹介があったら入会出来るというものだった。翌年の1月例会に見学までに寄せて頂いたことが、今日までのカメラワークに多く影響していることは否めず。

当時の精神病から社会復帰へと心身を慣らしながら、写真学校中退後はカメラを持つことが無かった当人の探究心と冒険は図り知れず只々若かったと自負するばかりです。

 

見学のために作品を持って上がった月例会は、

当時の難波・空港バス発着前の一栄ビルの一室で行われていた。

 

その日は、どの人も一昨日の阪神大震災の話題で始まった。

数人の会員が個々に作品を掲示しながら、Ya Yaと写真の批評・アドバイスをする方達ばかりで今でも微笑ましく記憶に刻まれ残っている。