黄砂大年

札幌の桜の開花日は今月17日らしい。

昨日、ニットの帽子が編み上がる。

 

外出すれば、アレルギー症から涙が出て仕方がない季節がやってきました。

冬の高温少雨からタクラマカンゴビ砂漠の黄砂が例年になく舞い散る多さだとか…

花粉症ではなく、この時期の涙目の原因が不明のまま道東まで。

忘れていたアレルギー症が札幌で再発。

pm2.5情報も黄砂情報のこともまだ知られていなかった時、花粉症対策云々と出会う人と気遣って話題になっていた頃が懐かしい。

 

4・5月でも朝方の冷え込みに着込んで仕事に繰り出していたものの、コロナウイルス感染症に後押しして襲い来る数々の難題…

昨日の朝方は、夢枕に牛が現れた。

牧畜の豊穣と平穏をいつも想う。

ロシア・カムチャッカ半島 シベルチ火山の噴火の程に更に低温が続く可能性があるらしい気象情報。

今年は、桜よりも早く木蓮の開花を見た。

写真倶楽部

晴れた日の午前、退会届を提出の為、当時の会長 津田洋甫・写真事務所がある大阪・四ツ橋まで出掛けたのは2008年の春。

浪華写真倶楽部の月例会に出席することが困難で退会する旨をお話した後、

歌人 前 登志夫さんの訃報が届いたとのお返事だった。

結婚願望もあって、今後の倶楽部活動のことに何とも言えず。

男(異性)があったら良いものだよと、笑いながら…

私の方は、返す言葉もなく。

倶楽部会員の方が写真集を出版されたと、現物の鉱物(原石)と一緒に見せて頂いたこと。

被写体にとても難しかったと、遠方から相談に来られたらしかった。

遠くにいても、写真活動は出来るものと仰られたことは今も忘れることはない。

倶楽部会員のための条件のことには入会当初から問題にあったものの退会届提出後、いつもと変わりなく事務所を後にした。

 

戦前・戦後の前衛写真と言われた写真家が集まる写真倶楽部入会の条件のことも知らずに、大阪・守口百貨店での浪華写真倶楽部 第90回 浪展 写真展会場の当番にいらっしゃった先生方に入会の可否を尋ねたら、倶楽部会員の紹介があったら入会出来るというものだった。翌年の1月例会に見学までに寄せて頂いたことが、今日までのカメラワークに多く影響していることは否めず。

当時の精神病から社会復帰へと心身を慣らしながら、写真学校中退後はカメラを持つことが無かった当人の探究心と冒険は図り知れず只々若かったと自負するばかりです。

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桜木のこと

週末は、専ら競馬となっているこの頃。

幼少時代、父親と一緒に通っていた京都競馬場以来触れることがなかった競馬。

あんまり競馬を知らずに過ごしていたので、見兼ねた同じアルバイトの年下男性が週末の競馬場へと誘って繰り出されるまでの愚者だったこと。

安藤勝己騎手の落馬引退後、皆の暗黙の内に絶ってしまった関西競馬を後に酪農実習のため釧路へと…一転して週末の話題といえば競馬かTVでした。

北海道と言えば競馬と云う人も少なくない処。

競馬場はウインズと言っても帯広、門別、函館、札幌という理由で、馬を見れることが無かった。

初めて見た中標津町でのばんえい競馬の予選が、新聞広告に入っていたチラシがきっかけで今でも忘れることのない北海道競馬となっている。

 

ばんえい競馬存続のことは、普遍的な社会問題として自然に付随して意識にあるけれど。

来週に控えた北海道知事選に、郷土には豊穣と繁栄を願うものと…

チシマザクラ咲く頃には、どうにも晴れて欲しいと春鳥に拓す。

 

石焼き

ガスコンロ、IHクッキングヒーター、カセットコンロ、電器コンロ、炭火…

湯沸かしに台所で使う便利な道具で他に何があるだろう…

水を沸かしてやかんから噴き出したりすることが度々あって、何が起こっているのだろう?と…気のせいかと見直すのだけど、やっぱり膨張して水が増えていた。

料理店や家屋からの火災のニュースが、後を絶たず。

心配して対策など巡らせるのだけど、仕方なくガスの元栓と揚げ物禁止の防災対策。

使用する火力と調理道具で随分お料理の風味など…ウイルス感染ではなく変わってくる。

この頃、頻著に環境問題がお台所に上がり来てはアマンではなく悪戯に一緒に共有している。

市内で毎日不安に過ごしている内に、現在も懐かしい焼き芋屋さんが近くまで来てくれる。

石焼きの効果とは?焚き火との違いは?…露知らずの日常から。

 

“いしや〜きいも いしや〜きいも あまくて おいしい おいもだよ”

 

パリ・コレクション

学生の頃、ファッション雑誌のELLEをよく好んで購読していた。

後から、VOGUE JAPANも躍進的に発売となり両方購読していた時期があった。

春夏の発表の頃には、モード旋風吹きわたる日本のファッション業界だったと振り返る。

環境問題や民族問題をテーマに、人種や国境を越えたデザインが友好的に目眩く重なった年月も久しく今年も春がやって来た。

並行してあったリメイク職人の五里霧中の内に築き上げた御功労も忘れがたく。

モード界でのオートクチュール衰退の事をとても残念に惜しんでいたことに今でも自負している。

 

先日、部屋の整理をしていたら94‘、95’Yohji Yamamotoパリコレクションで使用された矢野顕子のコンピレーションアルバムが出てきて懐かしく聴き入っていました。

個人的に矢野顕子のファンでもあって、衝動的に購入したものでした。

Yohji Yamamotoのデザインには、十人十色で賛否両論にあったと記憶にあります。

坂本龍一 LIFE  オペラ公演以来の活動で、健在かどうかは知れない処。

彼の服については、どうやって着用するというのが私などの見解でした。

 

このCDを聴いた後、

当時、精神病を患って自宅療養中にあったこと。

妹が「大学の卒業試験(幼児教育科)が終わった。」と言って、

帰って来るなりピアノを弾き出したことを思い出しました。

 

ひょんなことには、よく桜色にある日本が浮かんだりする…

勘違いかも知れませんが。

 

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マスク

今年も、生温い春風が吹いていた。

マスク着用の任意後、市内中心部の賑わいが戻っていた。

外出中に突然咳込んだりするので、未だ対策に困っている次第…

個人的な適応力から、必要にmyマスク作りなど始めました。

 

マスクのサイズの事に、消費者センターまでクレームが集まったことも少なくなかっただろうと思います。

ゴム紐のこと、材質のこと、形状のこと。

 

アベノマスクは、医療用ガーゼを重ねたあげた比較的分厚くて小顔向きのものでした。

マスクの在庫の問題も報道されていましたが、

19年以降の海外での紛争、コロナウイルス感染のことなどを思い出せば需要と供給に係る政治的な画策が巡るのは私だけでしょうか?

激動の2020年代に始まり…

行き先の事も、マスク一枚の事も悩みどころと予想される将来。

 

私の子供時代のマスクと言えば、

このマスクが供給されていて届いた時はとても懐に温かいものでしたが…

 

 

 

 

 

電球のこと

エジソン白熱電球の発明から今日まで。

部屋の電球を交換することになり駅の家電量販店まで出掛けた。

電球の為だけに出掛け高額な買い物になって帰ったものの、

机のアームライトの端子の太さが異なっては、アームライトごと買い直すことになってしまった。

電球の交換や家電製品の修理の事でも、リサイクルに廃棄処分にするにも面倒な近年。

山暮らしの時には、標高のことに電気やプロパンガスの利用の是非に迷ったものでした。

結局、昔ながらの白熱球が落ち着いて収まる次第。

エジソンが一緒にいたら、何を選ぶだろうと思い馳せる。

 

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